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シネマユニットガス高槻彰の事務所日記
バブルが終焉します。不景気に強いと言われるAV業界もしばらくすると本格的な不況がやってきます。「GASは面白いから仕事したいんですけど・・」とプロデューサーに言われながら、営業しても仕事が入らなくなってきます。
流通ではレンタルビデオが衰退し、セルビデオが主流になってきます。
今までは300円で見ていたAVを3000円で買う時代になってくるのです。
ハズレは許されなくなってきたのです。
面白いAVを作っていても(いたから?)仕事が激減するようになります。面白さよりは“抜ける”が重要になってきました。AVが変質してきたのです。(それはある意味、当然と言えば当然の流れです。変わっていたのはGASだったのですから)
実際どのように変質したのでしょうか。
・余計なものは要らない エロだけで良い
AVは映画ではない。エロに徹しなさいとなる。直接的なエロの表現へと。

・60分から120分に
DVDの普及により片面一層で入る長さ:120分というのが基準となる。
製作費は上がらず仕事量は倍に増える。二日撮りが一日撮りになり、撮影する量の多さから、決まったパターンを撮るくらいしかできなくなる。遊びの部分がなくなる。

・女優がセルに流れ始める
セル業界の勢いが強くなった結果、女優はセル業界に多く流れるようになった。撮影内容の変化により、モデル事務所・スタッフとも、よりシステマチックな関係・環境になっていく。

レンタル側だったGASは決断を迫られることになる。そこで選択したのがセルメーカーでした。同じ苦労するなら好きなことをやりたいという気持ちからでした。

どんなメーカーをやるのか。最初に考えたのは唯一著作権を持っていた“爆乳”でした。もともと爆乳は好きで、94年から自費で撮っていたのです。
最初の作品は過去の著作のベスト盤でした。作るのは得意です。編集はもとより、パッケージも何とか作ることはできました。しかし売るのは初めてだったので、先輩のO氏(ライター出身でAVメーカーの社長でもあった)に相談にのってもらい問屋さんを紹介してもらいました。営業の方たちと接したり、お金の計算をするのは正直苦手でした。あらためて自分は職人なんだなあと思ったりもしました。ベスト盤はそれなりに売れました。爆乳でいこうと決め、撮り下ろしの女の子をどうするで悩みます。当時の爆乳女優に面接しましたが、なぜだか納得がいきません。後発ですから他のメーカーとの競合で勝負する自信がなかったのです。
独自の企画・女優で勝負したい。そこでまたO氏に相談します。O氏は制作者でありながら、自ら女の子をスカウトしていました。スカウトのノウハウを教えてもらおうと思ったのです。しかしナンパなどできた試しがない自分に果たしてできるかは未知でした。O氏にできるのだから自分にできないはずはない、AV監督になったばかりの頃はスカウトできていたじゃないかと自らを鼓舞して。
スカウトは徐々に上手くなっていきました。40代半ばにして得た技術です。
これが現在のGASの原点になります。時々思い出します。
24年前の歌舞伎町、風営法改善前の不夜城です。照明とビデオカメラの入った重いバッグを肩から背負って歩いていた頃。この仕事は自分に向いてると気持ちが解放されていました。後先考えずに、やりたいからやっていたことが現在に繋がっている。
ここまで多くの方に救っていただきました。20年も会社があるのは、その場その場でお付き合いしていただいた方々があってのものだと思っております。一人ではここまで来ることはできません。みなさんのおかげです。この場を借りてお礼を申し上げます。

テーマ:日記 - ジャンル:アダルト

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