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シネマユニットガス高槻彰の事務所日記
1988年4月、シネマユニットガスを設立しました。ソウルオリンピックが開催された年です。バブルの勢いがでてきた頃で、仕事はたくさんありました。
AV業界のバブルはどういう感じだったのでしょうか。第一次AVブームがわき上がり、レンタル店があっという間にできてきました。ビデオはどんどん売れました。メーカーも制作会社も商売の上手な会社は売り上げを伸ばしていきました。
宇宙企画を代表する美少女ブームの一方、他社メーカーでは淫乱路線も出てきました。豊丸さん、咲田葵さんが代表格です。単体・企画のはっきりした区分けが始まったのもこの頃です。私には淫乱物の依頼がよくきました。内容は面白ければOKでした。いろんなメーカーとお付き合いをさせていただいておりましたが、どのメーカーのプロデューサー方もセックスの中味よりはストーリーや情緒(映像の中で女の子を実感できるかどうか)を大切にしていました。
当時の私は、本番するのが当たり前と思っていて、宇宙企画の疑似本番系の撮影には違和感を感じていました。異分子のような私を使ってくれていたのが、宇宙企画のプロデューサー高野氏でした。高野プロデューサーは疑似本番の女優を好きに撮らせてくれました。幻想としての女の子を見せるのがAVの仕事ですが、まだ若かったこともあり作品の中で未熟な表現をしていました。お金のためだけにやっている態度を見せる女の子には、敢えて否定的な描き方をしました。今考えると女に対する復讐をしていたような気がします。ただ作品だけはしっかり作り上げていました。プロとして面白く見せる工夫は忘れませんでした。仕事量は通常のAVの4倍の労力を使っていました。通常5日程度で仕上げる編集を三週間くらいかけるのです。AVではなく、毎回自主映画を作っている感覚に近かったかもしれません。そんなバカげたことをしているAV制作会社、監督はほとんどいませんでした。楽に稼げるのに、自分の達成感や作品への想いを大切にしてるのですから。高野プロデューサーは宇宙企画という美少女単体メーカーの中にいて、こんな自分を使ってくれて今もって感謝いたします。
普通のAVも撮ってはいましたが、会社および自分はAVの異端児になりつつありました。90年には平野勝之という自主映画出身の監督が入社します。彼の活躍もあり、GASは非AV的だが面白いものを撮る会社というイメージがますます定着します。住居侵入したり(「NGナシ」高槻・宇宙企画,91)、走るワゴン車の中で拷問したり(「水戸拷問」平野・V&R,92)、下水道の中で撮影したり(「ザ・ガマン」平野・V&R,93)、実家にAV女優を連れて帰ったり(「わくわく不倫講座」平野・V&R,95)、AV女優に結婚させたり(「結婚してみませんか」高槻・V&R,00)思いつく限りの楽しい映像を撮り続けていました。セックスさえあれば許されていました。仕事が本当に楽しかった。私は30歳を越えていましたが、青春のような勢いがありました。世間はバブル真っ盛りで日本国中が盛り上がっていましたが、仕事が楽しくて世間的な遊びには一切興味がわきませんでした。
だいぶ儲けた業界人も多いと思いますが、自分にとってのバブルとは面白いことをいろいろやらせてもらえた時代ということになるでしょうか。無駄なことがたくさん出来て、とても有意義な時代でした。

当時のGAS作品
「超AVアイドル伝説 桜木ルイ」(高槻)、「VIPスペシャル 林由美香」(平野)(ともにアトラス21)、「Fuckは永遠に 里中あやか」高槻(宇宙企画)など

当時活躍していた女優
樹まり子さん、松坂季実子さん、あいだももさん、飯島愛さん、憂木瞳さんなど。

テーマ:日記 - ジャンル:アダルト

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