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シネマユニットガス高槻彰の事務所日記
シネマユニット・ガスが20周年を迎えます。わたくし、高槻彰がAV業界に入った年が1983年になります。本日ここまで仕事を続けることができている感謝を込めて、ここまでの足跡をたどってみようと思います。

AV業界との出会いは1982年になります。当時、大学生だったわたしは映像の仕事をしようといろんなアルバイトで映像の仕事を経験しました。企業や市町村のVP撮影やピンク映画の助監督、TVの公開放送のスタッフ、当時好きだった映画監督・池田敏春氏に直談判して助監督にさせて下さい!と迫ったこともありました。しかし映画界の空気はどこか封建的で馴染みませんでした。
大学の映画研究会に所属していましたが、一年先輩に当時の宇宙企画(当時はハミングという社名だった。またCosmos Planというレーベル名だった)に入社した人がいました。後に宇宙企画を支えることになる「さいとうまこと監督」でした。エロビデオなんて聞いたこともありませんでした。それもそのはず、AVという言葉すらなく、ビデオレンタルショップもあまりなかった時代です。
宇宙企画に入社したさいとう監督から撮影を手伝ってくれと呼ばれます。入って半年もしないで監督を始めていたのです!それは驚異でした。ピンク映画でさえ助監督として数年の修行が必要だったのに、たった数ヶ月で監督になっているのです!エロビデオなんていう職業を当時考える人などいなかったので、そんな職業のなり手がいなかったのです。しかし、その撮影は楽しいものでした。今まで経験したすべての撮影で一番楽しかった。悩みながらも女の子に向かい合い、なにかを撮ろうとしていた。自由であるはずの大学の自主映画よりも楽しかった。将来性や収入や差別など一向にお構いなしに、ただ単に楽しいというだけで、自分もこの仕事をやろうと決心したのでした。
今考えると、その時の撮影がシステマチックに、やることなすこと決まったものだったら、やろうとは思わなかったと思う。その意味では撮影現場で悩み、女の子と向き合っていたさいとう監督には深く感謝します。いまの自分はさいとう監督がいなかったら存在していなかったはずですから。
(つづく)

テーマ:出会い ☆S☆E☆X☆ - ジャンル:アダルト

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